９月の下旬、いつものように田んぼの間を流れる吉田川沿いを散歩していた。

吉田川というのは、日本平の山からわき出る水が集まる清流で、所々にクレ

ソンが群生し、サワガニはもちろん、モクズガニやアマゴもいる美しくて

穏やかな川である。毎年六月には、蛍も見られ、幻想的な雰囲気を味わうこともできる川だ。

上流には、乗馬クラブもある。馬とも出会える、 めろん親子が大好きな散歩道だ。

しかし、この川は昔から、ひとたび大雨が降ると、水と共に日本平の山の土

砂を大量に運び、氾濫を起こす、あばれ川として知られていた。さらに悪

いことに、その土砂は下流へ行くと巴川と長尾川との合流地点に堆積(た

いせき)してしまうため、大雨が降る度に、その場所も決壊し、地域の

人々を苦しめてきた歴史がある。そのため、江戸時代から明治、大正にかけ

て、人力による大規模な治水工事が何度も行われ、川の流れや、合流地点を変えて、現在の姿に至っている。

平成となった今も、巴川、長尾川、吉田川では、大型の重機を使っての治水工事が行われている。

どうして、そんなことを知っているかというと、以前、総合的な学習や社会

科の学習の中で、巴川や吉田川や長尾川を地域教材として扱ったことがあ

るため、その歴史について少し詳しくなったのである。だから僕は、吉田

川を散歩しながら、時々先人の苦労に思いをはせる。

吉田川沿いには、リンゴ園がある。驚くことに、静岡でもリンゴ狩りができる。

品種ごとに植えられている木々それぞれに、色づいたリンゴがたくさん実っていた。

今年も、まもなくリンゴ狩りが始まる。

リンゴ園の横を通りながら、クーガがつぶやいた。

「ねえ、母ちゃん、最近は老後に犬を飼う人が増えてるんだよ」

「そうね。私たちには癒しの効果があるらしいわ」

「それをアニマルセラピーと言うんだよ」

僕は、二人に教えてやった。

実際、僕も毎日、彼らに癒されている。

しかし、この親子、性格は全然違う。

めろんは、気が強く、寝ているとき以外、服従のポーズである腹を見せるこ

とはない。

小さい頃は、かみ癖がひどく、噛んではいけないものにレモン汁をたくさん

かけたが、全く効果がなかった。レモン汁をかけても、夢中になって噛み

続ける姿には驚いた。

一方、クーガは、人が来るとすぐに腹を見せ、お腹をなでてもらおうとする

甘えん坊だ。そのくせ、僕の機嫌が悪いことを察知すると、すぐピンクの

ハウスに隠れてしまう。

もしろん、怒られると、すぐにハウスに入ってしまう。

他の犬に出会ったときも二匹の様子は違う。めろんは、散歩中に他の犬を見

かけると、駆け寄り、すぐに喧嘩を始める。この前は、二匹の強そうなド

ーベルマン相手に一歩も引けを取らずに吠え合った。

一方、クーガはというと、何回も吠えるが、相手が近づいてくると、すぐ

にめろんの後ろに隠れてしまう気の弱さである。

でも、僕は不思議でしょうがない。

こんなに勝ち気で、気の強いめろんにも、どうしても勝てない相手がいるのだ。

その相手とは、クーガである。

食事中、すでに食べ終わっているクーガが近づくと、めろんは自分の食料を

譲ってしまうのだ。

クーガが近づくと、居心地のよい場所も、すぐに譲ってしまう。

思い起こせば、めろんはクーガが生まれた時から、やさしかった。

産み終わったばかりで疲れているのに、

小さなクーガを踏まないように動き、

兄弟に追いやられて、おっぱいを吸えない一番小さなクーガをよく舐めた。

クーガの調子が悪い時は、めろんだけで散歩するが、すぐに家に帰りたがる。

食事中、クーガが吐いていると、心配して、自分も食事を食べない。

今、先頭に立って散歩しているめろんを見ながら、僕はつぶやいた。

「めろんは、ほんとクーガに弱いなあ」

聞こえないそぶりをして、めろんは草を食べている。

その近くには、もう彼岸花が咲いていた。

僕は、後ろを振り返ってみた。

ずっと後ろに、クーガがいた。

相変わらず、マイペースで、道草をしている。

「クーガ、早く来ないと置いてきぼりだぞ」

僕は叫んだが、彼は全然焦っていない。

勝手知ったる我が家かな、といった感じだ。

仕方がないので僕は、めろんと先に上流に登っていった。

その途中に小さな沢があるので、水を飲ませようと腰をかがめた瞬間、

後ろの方から、犬の吠える声がした。

クーガの声だ。しかもかなり高い。何かあったんだ。

「どうした！」

めろんは、すでに、クーガのもとへ向かっていった。

急いで、僕も後を追った。

現場に着いて愕然とした。

めろんとクーガの前には、二匹の強そうな犬がいた。

一匹には首輪が付いていなかった。

（野犬かもしれない）

そう思った。

めろんはクーガを守るように前に出て、すごい形相で、

正面にいる犬をにらみつけた。

そこには、必死で我が子を守ろうとしている母親の姿があった。

「ウーウー」

喉から唸るように出すめろんの威嚇は、ものすごい迫力だ。

（今、動いてはいけない）

とっさに僕は判断した。どちらかの緊張がゆるんだ瞬間に乱闘が始まる気配

がした。

ピーンと張りつめた時間が流れた。

やがて、めろんの圧倒的な迫力の前に、

正面にいた犬は目をそらし、くるっと体の向きを変えた。

そして、残りの一匹を連れ、山の方へ去っていった。

めろんは、彼らの姿が自分の視界から消えるまで、その場を動かなかった。

「クーン」

安心したのか、クーガが甘えたような声を出した。

めろんは、元気のないクーガの耳のそばに口を寄せた。

（気をつけなきゃ、だめでしょ）

きっと、そう言っているにちがいなかった。

何事もなかったかのように、また先頭に立って歩き始めためろんに

僕は母親のたくましさを見た気がした。